1、最初のヨット

   九州のヨットは昭和2年九州帝大の端艇部がヨット部となり、翌3年(1928

   年)に4隻の5メータのガフリグ艇を建造したのが最初と、「日本ヨット史」や

  「九州大学ヨット部50年史」に有ります。

   長崎市飽の浦町にある「三菱資料館」に昭和9年「三菱クラブ長崎支部長 玉井

   喬介(当時三菱長崎造船所所長)」と書かれたA級ディンギと思われる艇、3隻

   進水式写真が展示されています。場所は長崎湾小菅と裏に後年記入されたと思わ

   れる記載があります。

   しかしここには進水する3隻以外に既に3隻の艇が写っています。従って長崎港

   には少なくとも昭和9年には複数のディンギが浮かんでいた事になり、博多の海

   とそんなに差がない時期に長崎でもディンギが帆走していた事になります。

   もう一つ、「日本ヨット史」白崎謙太郎著の中に、『カッティンディーケ著「長

   崎海軍伝習所の日々」に「安政3年(1856年)4月15日、港内を帆走して

   いた11人乗りのスループが転覆するのを見たとき・・・・」とあるが、このス

   ループが遊興用のヨットか実用舟艇であったかは決められないが,我が国初の英

   字新聞「The Nagasaki Shipping List and Advertiser」には長崎で日本最

   初のヨットが建造されたという記録が残っている。』と書かれています。これが

   正しければ、日本最初のヨットは長崎港で帆走したことになります。

   これらの記事と写真から長崎大学、三菱長崎が参加した昭和29年(1954年)

   の県連創立は長崎にディンギが浮かんだ時期とは大幅に異なる事になります.こ

   の写真の時から約20年、長崎のヨット界はどうだったのでしょう。

    三菱クラブは三菱の社員クラブで野球、ラグビー、テニス等のクラブ活動が当時行われていました。

2、スナイプの変遷、主に構成素材について

  現在、当部には,創立当時の木造スナイプもA級ディンギもマストを除いて今は

  ありませんが部員の古賀君が昭和  年に自作した木造艇のハルと、第一回の長崎

  国体で使用され、後に払い下げられた日本板硝子製のFRP艇はセンターボードとマ

  ストは焼失しましたがハルは残っています。

  創部50周年記念パーティの翌日、創立当時のメンバー(河野、中島、吉井)

  を大草艇庫に御招きし,最新?のスナイプを見てもらいました.その時、私も初め

  て気づいたのですが,なんと1936年(約80年前)頃設計され,その後基本

  的要目(重量、船体長,船体幅、形状、マスト高さ、セール面積等)はほとんど変

  わらないスナイプの構成素材がこの25年程で全て変わっている事に気づきまし

  た。

 

  船体              (桧等の単板からFRPの複合材構造)

  セール           (木綿からテトロン,ダクロン等の合成繊維)、

  ロープ類            (麻、木綿からテトロン等の合成繊維)

  ステー              (亜鉛メッキ鋼線からステンレス鋼線),

  センターボード     (亜鉛メッキ鉄板から防蝕アルミ板)

  シート類           (木綿、麻からテトロン、ケプラ等の合成繊維)、

  ブロック類         (真鍮、亜鉛メッキ鉄からプラスチック、セラミック,一部

             ステンレス鋼)

  マスト             (木からアルミ、カーボンフアイバ)

  シャックル類       ( 真鍮、亜鉛メッキ鉄からステンレス鋼)

     

  クラスルールには主要な変更は無いようですが、全く?違う船になっているように

  思えました。 曲がるマスト,調節可能なセール、等が帆走技術に大きな影響を与

  えています。

  いくつかの帆走方法並びにルールの変更(禁止)も行われています.

   (跳ね上げ式のラダーの禁止、船体に全て収納可能なセンターボードの禁止等).

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